三十三観音について

西国移土三十三観音様について

湯川寺境内には、もとは函館山にあった三十三観音が時代の流れを経て安置されています。

ペリー遠征記に描かれている函館山の観音様
ペリー遠征記に描かれている函館山の観音様

時代とともに函館を見守り、函館の人々の心の支えになってきた三十三の観音様。

三十三体の観音様の足元の地面には、平成17年に住職と檀家さん達が三年を費やして西国三十三ヶ所を巡拝し、土を集め、埋めてあり、平成19年に【西国移土三十三観音】として生まれ変わりました。

遠方にはなかなか出向けない方でも誰でも三十三ヶ所のお参りが出来るようにという願いの元、今に至ります。湯川温泉にお越しの際にはぜひお参りください。

湯川寺への道のりと歴史

湯川三十三観音は、天保年間(1834年)より、西国三十三観音の分霊所として函館山に設置された由緒ある観音様です。

大正三年 観音様お迎えの様子
大正三年 観音様お迎えの様子

函館山に安置されていた当時は、人々の山かけでたくさんの願い事を聞き、函館市民の心の支えになっていました。

明治32年に函館山が日本軍の要塞となった時に山から降ろされ、大正3年に湯川の人達の願いで湯の川村にやってきました。
その後道路の整備など時代の流れを経て、湯川寺にやってきました。

三十三のご利益が一同に

住職と檀家さん達が三年がかりで西国三十三箇所全てを周り、それぞれの観音様の土を台座に納められている湯川三十三観音は、現地のお寺に行ったのと同じご利益が得られる、移土観音です。

一つ一つの観音様にはそれぞれご利益があると言われています。
ぜひ自分に合うご利益や、お気に入りの観音様を見つけてお参りしてください。

  • 1番 那智山 青岸渡寺

    《不老長寿の滝水》

    1番 那智山 青岸渡寺

    1番 那智山 青岸渡寺 如意輪観音 座像 和歌山県(紀伊国)

    ご利益《不老長寿の滝水》

    2番 紀三井山 金剛宝寺

    1番の観音様は、如意輪観音で右膝を立てた座法(輪王座)を取っております、天保4年(1833年)函館山に安置された場所は、観音山の 頂上付近で、観音山の名前もこの時付けられたのではと思われます。

    その後明治32年函館山に要塞が作られ、取りおろされ称名寺の裏にまとめられていました。
    大正3年(1914年)湯の川村の強い希望により湯の川村に安置する事になりました。しかし1番と3番の観音様はどうしても見つかりません、そこで新しく造りなおして湯の川へ持っていきました。したがって、現在湯川寺にある1番観音様は、天保の観音様でなく大正3年に造られたものです。

    この観音様は天保の観音様に非常によく似ており精巧に造られております。
    湯の川に来て最初に安置された場所は、湯川寺の境内です。その後大正13年頃、33番が船見町称名寺で遠いという事で、33番を新しく造りなおし湯の川村だけで33観音巡りが出来るようにしました。
    その時、1番観音様は湯の川村の中心電車湯の川終点に置き、最後の33観音様は湯川寺としました。

    昭和29年中央病院の阿部たつを氏が湯川寺3世戒蔵上人が描いた観音様の配置図をたよりに確認した結果を「函館雑記帳」に記しておりますので、参考にしますと、昭和29年(1954年)1番観音様は、現ツルハ湯川店左道路を入った昔あった「長寿湯」玄関横にありました。
    昭和50年(1975年)湯川寺境内に安置し、平成19年(2007年)西国33観音札所のお砂を入れ庭園型「西国移土33観音」として再安置しております。

    ちなみに、天保の1番観音様は、その後見つかり現在函館山に安置されたとされておりますが、平成19年8月確認しましたところ天保の観音様でありませんでした。

  • 2番 紀三井山 金剛宝寺

    《縁結びの寺》

    2番 紀三井山 金剛宝寺

    2番 紀三井山 金剛宝寺 十一面観音 長等身 和歌山県(紀伊国)

    ご利益《縁結びの寺》

    2番 紀三井山 金剛宝寺

    2番の観音様は、天保時代からの観音様で船形光背の脇に「大阪大津屋栄徳新造積下り」の彫りがあります。

    舟形光背と顔に修整が見られます、特に体と顔とのバランス気になりますが(顔の部分作り直している)、長年の年月と機縁のなすわざとそれなりに趣きがあります。

    函館山の安置場所は、観音山から薬師山へと御殿山をハチマキ状のルートの御殿山に突き当ったあたりです。(現観光道路近く)大正3年湯の川に安置され場所は、駒場町後藤医院(旧入村宅)向かい50m入った所(須藤宅昭和29年確認)。昭和50年湯川寺境内へと、そして現在に至っております。

  • 3番 風猛山 粉河寺

    《厄除開運》

    3番 風猛山 粉河寺

    33番 風猛山 粉河寺 千手観音 長等身 和歌山県(紀伊国)

    ご利益《厄除開運》

    3番 風猛山 粉河寺

    1番と3番の観音様は、前述した様に大正3年湯の川に来る時見つからず、新しく造り直しましたが、現在湯川寺にある1番と3番の作りは全然違っております、天保の観音様に似ているのは1番で、当初の3番もそのように造られ、現在湯川寺にあるものは、さらに何時かの時に造られたものと思われます。

    函館山の安置場所は薬師山に向かう、御殿山を巻いた中間地点(観光道路上と思われる)。湯の川の安置場所は、駒場車庫に向かって右側の道路付近(昭和29年確認)、そして昭和50年湯川寺境内に安置し現在に至っております。

    又、函館山の3番観音様を平成19年8月確認したところ、天保の観音様に間違いなく「大阪大津屋栄徳新造積下り」の彫りがありました。

  • 4番 槇尾山 施福寺

    《転機に「吉」となる》

    4番 槇尾山 施福寺

    4番 槇尾山 施福寺 千手観音 長等身 大阪府(和泉国)

    ご利益《転機に「吉」となる》

    4番 槇尾山 施福寺

    湯川寺の4番観音様は、天保の観音様そのものです。

    函館山では薬師山の頂上近くに安置されておりました。

    大正3年の湯の川の安置場所は、湯の川村遊園予定地(現在の市民会館交番の辺り)でした。
    その後遊園地が閉鎖され富岡鉄工所が出来たため、湯川忠魂碑広場に移されました(旧神社―湯川中学校と柳の井戸―神社の道路交差点昭和29年確認)。
    昭和50年湯川寺境内へ。

  • 5番 紫雲山 葛井寺

    《1043の手で苦難解消》

    5番 紫雲山 葛井寺

    5番 紫雲山 葛井寺 千手観音 座像 大阪府(河内国)

    ご利益《1043の手で苦難解消》

    5番 紫雲山 葛井寺

    湯川寺の5番観音様は、天保年間からの観音様でおいたわしい事に、舟形光背の上部が真二つに割れ修理接合してあります。

    座像の千手観音は葛井寺のご本尊と同じです。

    函館山の安置場所は、4番からロープウェイコース側へ登りながら進んだ位置です。湯の川村の安置が所は、4番の所から現深堀中学校方向への旧道路を入った所の鮫川松五郎宅の近くです(昭和29年確認)。
    昭和50年より湯川寺境内へ。

  • 6番 壷坂山 南法華寺

    《眼病封じ》

    6番 壷坂山 南法華寺

    6番 壷坂山 南法華寺 千手観音 座像 奈良県(大和国)

    ご利益《眼病封じ》

    6番 壷坂山 南法華寺

    湯川寺の6番観音様は、天保の観音様とは違っております、大正3年、昭和29年では、天保の観音様と確認されておりましたので、その後変わったと思われます。

    光背も違っておりますし、彫りも違っておりますが、千手観音座像は合っております。

    函館山の安置場所は、5番から御殿山頂上7番間、ロープウェイコース下辺りになります。

    大正3年~昭和50年の湯の川安置場所は、湯川商店街カトー写真館向かい小路を50m入った右側(笹原宅横)です。

  • 7番 東光山 岡寺

    《日本最初の厄除け墓場》

    7番 東光山 岡寺

    7番 東光山 岡寺 如意輪観音 座像 奈良県(大和国)

    ご利益《日本最初の厄除け墓場》

    7番 東光山 岡寺

    湯川寺の7番観音様は、天保の観音様と違うもので、昭和29年にも違うことを確認されております。

    本尊は如意輪観音座像ですが、現湯川寺の石仏は、地蔵菩薩になっております。何かの理由で造ったと言うより、別なものを持ってきたように思われますが、これもご縁でそれなりに趣きがあります。

    函館山の安置場所は、ロープウェイの終点辺りで一番高いところにありました。その当時は岩場で現在より高かったと思われます。大正3年湯の川に来た時は、寺野より滝の澤と新聞に書いてあり、想像から電車終点辺りと思われます。

    そして、大正13年33番を新しく造り1番から33番まで湯の川村で回れる様にした時、湯川寺の1番を湯の川終点に持って来て、7番を日吉町に持って行ったと思います。

    昭和29年7番は旧北高校と滝の沢への分かれ道の交差点にあったことが確認されております。ちなみに、7番は11番と12番の間にあり、途中から持ち込まれたことが分かります。

    昭和50年より湯川寺境内へ。

  • 8番 豊山 長谷寺

    《病気平癒》

    8番 豊山 長谷寺

    8番 豊山 長谷寺 十一面観音 長等身 奈良県(大和国)

    ご利益《病気平癒》

    8番 豊山 長谷寺

    湯川寺の8番観音様は、天保の観音様でまさに「ペリー遠征記」に描かれていたそのもので、絵がよく特徴をとらえており、感慨深いものがあります。

    函館山の安置場所は、絵から良くわかり、現在よりも高い地面の7番観音様から下った感じで現在の「函館山」の看板辺りになります。
    湯の川村での安置場所は湯倉神社境内へ登る石段右横です。

    昭和29年「湯の川温泉発祥の碑」の右側に安置しているのを確認しております。

    そして昭和50年より湯川寺境内に安置されております。

  • 9番 興福寺

    《羂索で衆生を救う・漁業の守護》

    9番 興福寺

    9番 興福寺 南円堂 不空羂索観音 座像 奈良県(大和国)

    ご利益《羂索で衆生を救う・漁業の守護》

    9番 興福寺

    湯川寺の9番観音様は、天保からの観音様で羂索を持った座像の姿がはっきり分かります。

    当初の函館山の安置場所は、御殿場山からつつじ山に向かう尾根の中間要塞郡を過ぎた「あずま屋」の辺りです。

    大正3年湯の川村の安置場所は、湯倉神社の坂を登って、湯川中学校への大道からラ・サール学園への小道の交差点右側家の入り口(桝田宅)です。

    昭和29年も確認され、昭和50年湯川寺境内に再安置されております。

  • 10番 明星山 三室戸寺

    《運気、勝機、金運 花の寺》

    10番 明星山 三室戸寺

    10番 明星山 三室戸寺 千手観音 長等身 京都府(山城国)

    ご利益《運気、勝機、金運 花の寺》

    10番 明星山 三室戸寺

    湯川寺の10番観音様は、天保からの観音様で舟形光背の舟形先端が欠けております。

    函館山の安置場所は、つつじ山の頂上辺りです。その後湯の川村での安置場所は、9番から滝の沢方向へ100m位入った右側です。

    昭和29年頃はそこから湯川中学校への道もできていた事を覚えています。

    そして昭和50年には湯川寺に安置されました。

  • 11番 深雪山 上醍醐寺

    《子授け、夫婦敬愛》

    11番 深雪山 上醍醐寺

    11番 深雪山 上醍醐寺 准胝観音 座像 京都府(山城国)

    ご利益《子授け、夫婦敬愛》

    11番 深雪山 上醍醐寺

    湯川寺の11番観音様は、天保からの観音様で損傷が少くなくきれいに保たれております。

    函館山の安置場所は、つつじ山から入江山の尾根現在の17番観音様の位置にあたります。

    湯の川村の最初の安置場所は、競馬場場内です。

    その後(大正13年頃?)競馬場に29番馬頭観音様を持ってきたので、11番は旧戸井線に架かっている開進橋を渡って100m位道の左側に安置されました。昭和29年に確認され、小向家が11番と7番(現ラ・サール学園分岐点)の観音様をお世話していたと聞いています。

    そして昭和50年より湯川寺境内に安置されております。

  • 12番 岩間山 正法寺

    《雷除け、ぼけ封じ》

    12番 岩間山 正法寺

    12番 岩間山 正法寺 千手観音 長等身 滋賀県(近江国)

    ご利益《雷除け、ぼけ封じ》

    12番 岩間山 正法寺

    湯川寺の12番観音様は、天保の観音様とは違っております、大正3年湯の川村に来た時は天保の観音様とされておりましたが、昭和29年の確認では違っておりました。したがって、大正3年から昭和29年の間に変わったと思われます。函館山での安置場所は、入江山の頂上で展望の良いきれいな所です。

    湯の川村での安置場所は、旧北高への道から滝の沢へ分岐して路傍右側です。この道滝の沢まで沢山の観音様が安置されておりました。

    昭和29年にも確認され、昭和50年に湯川寺境内に再安置されました。

  • 13番 石光山 石山寺

    《金銀財宝福徳》

    13番 石光山 石山寺

    13番 石光山 石山寺 如意輪観音 座像 滋賀県(近江国)

    ご利益《金銀財宝福徳》

    13番 石光山 石山寺

    湯川寺の13番観音様は、天保の観音様そのもので、足元と舟形光背の先端が少し欠けていますが、物思いに耽った良いお顔をしております。座像の形ですが、本尊は、半跏趺座ですが、この石仏は輪王座になっております。函館山の安置場所は、入江山の尾根を戻り、つつじ山を通り水元山の頂上辺りになります。大正3年湯の川村に安置された場所は、12番からさらに滝の沢に進んだ辺りと思われます。昭和29年確かめた時には旧善宝寺本堂に向かって右土手の上となっておりました。これは昭和8年湯川遊園地清水堂に羽州善宝寺竜王神を勧請を機に日吉町の13番観音様を境内に持ってきたものと思われます。昭和50年善宝寺境内から湯川寺境内へ安置しております。

  • 14番 長等山 三井寺

    《救世・利人》

    14番 長等山 三井寺

    14番 長等山 三井寺 如意輪観音 座像 滋賀県(近江国)

    ご利益《救世・利人》

    14番 長等山 三井寺

    湯川寺の14番観音様も天保の観音さまです、13番の観音様と同じ如意輪観音様ですが、お顔立ちは違っております。このように天保の観音様は、ご本尊に合わせ造っている事に驚異を感じます。

    函館山の安置場所は、水元山を下って現観音様の6番、7番辺りと思われます。

    湯の川村の安置場所は、12番、13番の先、道の右側になります。

    昭和29年確認され、昭和50年に湯川寺境内へ安置されました。

  • 15番 新那智山 観音寺

    《ぼけ封じ・頭痛封じ》

    15番 新那智山 観音寺

    15番 新那智山 観音寺 十一面観音 長等身 京都府(山城国)

    ご利益《ぼけ封じ・頭痛封じ》

    15番 新那智山 観音寺

    湯川寺の15番観音様は、天保からの観音様とは違っております。

    湯の川村に安置された時は、天保の観音様であったと言われておりますが、昭和29年に確認した時は変わっておりました。途中で変わった観音様は、その時その時の思い入れがあり形が全部違っているのも、又趣があります。

    函館山の安置場所は、14番から御殿場山に向かい中腹の小高い所と思われます。(現在道はありません)湯の川村の安置場所は、滝の沢へ下る坂口左側です。

    昭和50年に湯川寺境内へ安置されまた。

  • 16番 音羽山 清水寺

    《安産、子育て》

    16番 音羽山 清水寺

    16番 音羽山 清水寺 千手観音 長等身 京都府(山城国)

    ご利益《安産、子育て》

    16番 音羽山 清水寺

    湯川寺の16番観音様は、天保からの観音様です。舟形光背の先が欠け、本尊と花のうてなの間が補強されていますが、にこやかに見えます。

    函館山の安置場所は、15番を下り、汐見山の急斜面を登った(この道も現在ありません)現汐見山急下り口当たりになります。

    湯の川村の安置場所は、滝の沢への下り道、15番の先左側になります。

    そして、昭和29年確認され、昭和50年に湯川寺境内へ安置されました。

  • 17番 補陀洛山 六波羅密寺

    《悪病退散》

    17番 補陀洛山 六波羅密寺

    17番 補陀洛山 六波羅密寺 十一面観音 長等身 京都府(山城国)

    ご利益《悪病退散》

    17番 補陀洛山 六波羅密寺

    湯川寺の17番観音様は、天保からの観音様です。破損もなくよく170年も持ったものだと思います。

    函館山の安置場所は、16番観音様から汐見山の尾根を三分の一八幡山に向かって進んだ所です。

    湯の川村の最初の安置場所は、滝の沢への坂道16番観音様の先だと思われます。

    しかし昭和29年確かめた時は、17番は15番と16番の間になっておりました。これは17番の位置に何かの理由で置けなくなり移したものと思われます。

    昭和50年にはここから湯川寺境内へ安置されております。

  • 18番 六角堂 頂法寺

    《病気平癒》

    18番 六角堂 頂法寺

    18番 六角堂 頂法寺 如意輪観音 座像 京都府(山城国)

    ご利益《病気平癒》

    18番 六角堂 頂法寺

    湯川寺の18番観音様は、天保からの観音様です。黒いシミが付いておりますが形はしっかりしております。

    函館山での安置場所は、汐見山の尾根17番よりさらに三分の一進んだ所になります。

    湯の川村での安置場所は、どんなご縁からか大正3年から昭和50年まで明光寺の境内でした。そして、その後湯川寺の境内へ安置されました。

  • 19番 革堂 行願寺

    《除災招福》

    19番 革堂 行願寺

    19番 革堂 行願寺 千手観音 長等身 京都府(山城国)

    ご利益《除災招福》

    19番 革堂 行願寺

    湯川寺の19番は、天保からの観音様です。舟形光背の先端が斜めに欠け接合していますが、汚れのないきれいな観音様です。

    函館山での安置場所は、八幡山の頂上です。

    大正3年の湯の川村での安置場所は、滝の沢への坂道を下りきった所です。

    昭和29年確認され、昭和50年に湯川寺境内へ安置されました。

  • 20番 西山 善峯寺

    《試験に落ちないお守り・神経痛、腰痛守り》

    20番 西山 善峯寺

    20番 西山 善峯寺 千手観音 長等身 京都府(山城国)

    ご利益《試験に落ちないお守り・神経痛、腰痛守り》

    20番 西山 善峯寺

    湯川寺の20番観音様は、天保からの観音様です。33観音様の中で一番多いのが千手観音様ですが天保からの観音様の顔立ちがすべて違っています。
    一箇所の所で統率を取って精巧に造られたことが偲ばれます。

    函館山での安置場所は、八幡山から牛の背に向かう尾根現8番の上辺りになります。

    大正3年湯の川村の安置場所は、19番から田圃を横切り滝の沢に出て右側、滝の沢民家のある辺りだと思います。

    昭和29年に確認され、昭和50年に湯川寺境内に再安置されております。

  • 21番 菩提山 穴太寺

    《身代わり観音》

    21番 菩提山 穴太寺

    21番 菩提山 穴太寺 聖観音 長等身 京都府(丹波国)

    ご利益《身代わり観音》

    21番 菩提山 穴太寺

    湯川寺の21番観音様は、上半身と下半身が接合されております。そしてどちらも天保からの石仏です。ちょっと見れば分かりませんが、上は如意輪観音で下が21番聖観音です。

    天保の観音様は舟形光背本尊、花の台、台座(番号記載)が一体として彫られているので、下半分は、聖観音菩薩(長等身)と分かります、上半分は、頬に手を添えた輪王座の如意輪観音様です。

    湯川寺の33観音様で如意輪観音でなければならないのに違っているのは、7番です。おそらく7番如意輪観音様の上半身だと思います。それにしても、上手に付けたものと感心します。

    函館山での安置場所は、牛の背峠現13番観音様の辺りと思われます。

    大正3年湯の川村での安置場所は、久〆一別荘正門への入り口あたりと思われます。

    昭和29年位置は確認されておりますが、観音様の傷等のことは記されておりません。

    昭和50年湯川寺の境内に安置されております。

  • 22番 補陀洛山 総持寺

    《料理上手なる観音》

    22番 補陀洛山 総持寺

    22番 補陀洛山 総持寺 千手観音 長等身 大阪府(摂津国)

    ご利益《料理上手なる観音》

    22番 補陀洛山 総持寺

    湯川寺の22番観音様は、造りは非常に似ているが、十一面観音様の座像(今回の西国33観音巡拝で本尊は十一面観音長等身)なので、天保の観音様でない様に思われます。

    昭和29年に確かめた時には、「大阪大津屋栄徳新造積下り」の彫りがあったとされていますが、今ははっきり分かりません。昭和29年に確認したものか、その後何かの縁で持ってきたものかも分かりません。

    函館山での安置場所は、牛の背から月見台へ向かう尾根(現9番、12番の上)と思われます。大正3年の湯の川村の安置場所は、その当時の新聞より滝に向かって22番、23番、24番があった様に思われます。

    そしてその後この三体は高丘町、上野町に移され、昭和29年に22番は、現高丘寮の前の小林宅の庭先にあったこと確かめております。又23番は、上野町8-30加藤宅、24番は、上野町36-4百寿会館近くにあった事が確認されております。

    この移動は、「湯川33観音縁起」にも書いてある、「湯の川の観音様の配置は、大正13年秋、歩き易いように変えている」の時か、又その後何かの事情で変えたものか分かりませんが、旧家の小林家が22番、加藤家が23番、24番、27番の観音様をお世話してくれて来ました。

    昭和50年には共に湯川寺境内に安置されております。

  • 23番 応頂山 勝尾寺

    《勝運観音》

    23番 応頂山 勝尾寺

    23番 応頂山 勝尾寺 千手観音 長等身 大阪府(摂津国)

    ご利益《勝運観音》

    23番 応頂山 勝尾寺

    湯川寺の23番観音様は、天保からの観音さまです。

    ご本尊は十一面千手観音ですが、湯川寺の石仏は十一面には成っておりません。

    函館山での安置場所は、月見台現11番観音様の辺りになります。

    湯の川村での安置場所は、前項22番にあります。

  • 24番 紫雲山 中山寺

    《安産(腹帯奉納)》

    24番 紫雲山 中山寺

    24番 紫雲山 中山寺 十一面観音 長等身 兵庫県(摂津国)

    ご利益《安産(腹帯奉納)》

    24番 紫雲山 中山寺

    湯川寺の24番観音様は、天保からの観音様です。しかし、石仏は千手観音長等身になっております。
    古い資料をみても、中山寺のご本尊は十一面観音様です。
    台座の番号もはっきり24番となっておりますので、製作当初に間違ったものと考えられます。

    函館山での安置場所は、月見台現10番観音様の辺りになります。

    湯の川村での安置場所は、前項22番にあります。

  • 25番 御岳山 清水寺

    《延命(おかげの井戸)》

    25番 御岳山 清水寺

    25番 御岳山 清水寺 千手観音 座像 兵庫県(播磨国)

    ご利益《延命(おかげの井戸)》

    25番 御岳山 清水寺

    湯川寺の25番観音様は、天保からの観音様です。
    清水寺のご本尊は千手観音座像ですが、湯川寺の石仏は千手観音長等身です。

    函館山での安置場所は、千畳敷見晴所「あずま屋」の辺りと思われます。

    湯の川村での安置場所は、見晴公園現ゴルフハウスの玄関に向かって左側松の木下に25番、26番数間隔てて並んでおりました。

    2体共昭和29年確かめられ、昭和50年湯川寺境内に安置されました。

  • 26番 法華山 一乗寺

    《病気平癒(孝徳天皇)》

    26番 法華山 一乗寺

    26番 法華山 一乗寺 聖観音(旧千手観音) 長等身 兵庫県(播磨国)

    ご利益《病気平癒(孝徳天皇)》

    26番 法華山 一乗寺

    湯川寺の26番観音様は、天保からの観音様で千手観音等長身です。
    古い資料を見るとご本尊は千手観音で新しい資料では、聖観音になっているので、一乗寺に問い合わせたところ300年前には千手観音であった事が分かり、湯川寺の石仏は、昔の本尊になります。

    函館山での安置場所は、地蔵山頂上辺りと思われます。

    湯の川村では25番と仲良く並び、昭和50年には、共に湯川寺境内に安置されました。

  • 27番 書写山 圓教寺

    《六根清浄の寺》

    27番 書写山 圓教寺

    27番 書写山 圓教寺 如意輪観音 座像 兵庫県(播磨国)

    ご利益《六根清浄の寺》

    27番 書写山 圓教寺

    湯川寺の27番観音様は、天保からの観音様です。
    長年の風雨、草苔でかなり汚れておりますが洗浄によりきれいになりました。

    函館山での安置場所は、地蔵山見晴所の辺りと思われます。

    湯の川村での安置場所は、現函館高専セブンイレブン向かいの角(旧倉橋宅前)です。私の小学校への通学路で道しるべとして、よく顔を合わせ励まされました。

    昭和29年にも確かめられ、昭和50年湯川寺境内に安置されました。

  • 28番 世野山 成相寺

    《美人観音》

    28番 世野山 成相寺

    28番 世野山 成相寺 聖観音 長等身 京都府(丹後国)

    ご利益《美人観音》

    28番 世野山 成相寺

    湯川寺の28番観音様は、天保からの観音様です。
    この石仏も汚れがひどかったですが、洗浄できれいになりました。

    函館山での安置場所は、七曲坂の中間辺りです。大正3年湯の川村の安置場所は、現太田商店辺りと思われます。

    その後昭和29年までの間に久〆一裏門(現見晴公園正門)を出て右側松の下に移され、昭和29年確かめられ、昭和50年湯川寺境内へ安置されました。

  • 29番 青葉山 松尾寺

    《ペットの守り観音》

    29番 青葉山 松尾寺

    29番 青葉山 松尾寺 馬頭観音 座像 京都府(若狭・丹後国)

    ご利益《ペットの守り観音》

    29番 青葉山 松尾寺

    湯川寺の29番観音様は、天保の観音様とは違っております。又、石仏も馬頭観音様でなく抽象化した千手観音様になっております。
    馬頭観音様は湯の川においては非常に親しまれている観音様で人気があり、いたる所に石仏、石碑があり信仰されておったので、何時かの時に取り替えられた可能性があります。

    函館山の安置場所は、鞍掛山です。

    大正3年湯の川村での安置場所は、28番から100m位下がった畑の淵と思われます。

    その後競馬場の思い入れで現競馬場正門左脇に安置され、さらに昭和29年前に競馬場左隣大久保宅門を入った右に安置されました。

    昭和29年この位置を確かめ、昭和50年湯川寺境内へ安置しました。

  • 30番 巌金山 宝厳寺

    《金宝富貴授け観音》

    30番 巌金山 宝厳寺

    30番 巌金山 宝厳寺 千手観音 長等身 滋賀県(近江国)

    ご利益《金宝富貴授け観音》

    30番 巌金山 宝厳寺

    湯川寺の30番観音様は、天保からの観音さまです。
    他と比べシミがなくきれいです、この間洗浄していたかも知れません。台座の番号が削られたようになっております。

    函館山での安置場所は、谷地頭旧浅田楼庭(現在の谷地頭温泉)です。

    大正3年湯の川村での安置場所は、岩舟家の思い入れで久〆一別荘正門を入った第二門の右側蝦夷松の下でした。

    この場所は、昭和29年にも確かめられ、昭和50年に湯川寺境内に安置されました。

  • 31番 姨綺耶山 長命寺

    《健康長寿の観音》

    31番 姨綺耶山 長命寺

    31番 姨綺耶山 長命寺 聖観音 長等身 滋賀県(近江国)

    ご利益《健康長寿の観音》

    31番 姨綺耶山 長命寺

    湯川寺の31番観音様は、天保からの観音様とは違います。

    ご本尊は、聖観音長等身ですが、この石仏は不空羂索観音だと思います。どうしてこのようになっているか分かりませんが、深いご縁の湯川寺33観音様のお仲間です。

    函館山での安置場所は、函館西高等学校の裏に当たります。

    湯の川村の安置場所は、大正3年の新聞によれば、「湯の川村内龍吟寺」になっておりますが、昭和29年の確認では、湯の川墓地の入り口になっております。

    そして昭和50年湯川寺境内へ安置されております。

  • 32番 繖山 観音正寺

    《本尊御身拭い散華》

    32番 繖山 観音正寺

    32番 繖山 観音正寺 千手観音 座像(旧長等身) 滋賀県(近江国)

    ご利益《本尊御身拭い散華》

    32番 繖山 観音正寺

    湯川寺の32番観音様は、天保からの観音様です。

    ご本尊は最近造られた白檀の千手観音座像です。湯川寺の石仏は千手観音長等身で旧ご本尊と合っております。

    函館山での安置場所は、31番観音様と同じ函館西高等学校裏に当たります。

    大正3年の湯の川村での安置場所は湯の川墓地の入り口あたりとなっておりますが、昭和29年には、龍吟寺境内に安置されている事を確かめております。しかし、初めから32番は、龍吟寺にあったとも考えられます。

    そして昭和50年湯川寺境内に安置されました。

  • 33番 谷汲山 華厳寺

    《満願成就》

    33番 谷汲山 華厳寺

    33番 谷汲山 華厳寺 十一面観音 長等身 岐阜県(美濃国)

    ご利益《満願成就》

    33番 谷汲山 華厳寺

    湯川寺の33番観音様は、天保当初からの観音様ではありません。天保の観音様は、湯の川村には来ず、船見町称名寺に残し湯の川33観音山掛けの33番としておりました。
    しかし船見町まで行くのが大変という事で、新しく湯の川で33番を造り湯の川だけで回れるようにしました。

    (大正13年頃か)その時33番を湯川寺境内に安置し、今まであった1番を湯の川終点に安置しました。
    したがって33番は、造ってから湯川寺に安置されていたわけですがご本尊の十一面観音長等身と違う十一面千手観音長等身になっております。

    ちなみに、天保の33観音最初の安置場所は、称名寺(現弥生小学校)です。又、現在の称名寺は、船見町にあり現函館山の33番観音様十一面観音菩薩を安置しておりますがこの石仏も天保の観音様ではありません。天保の観音様は幾度かの火災にて焼失したと聞いております。

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